シチリアのガストロノミー(美食文化)


シチリアでは人々が会ったとき、挨拶の言葉の次に来る話題が「食」です。昨日は何を食べたのか?今は何が旬だね、もう食べた?とかうちのカミサンがこんなうまいものをつくってね、など。。。。


私がシチリアに住み始めたばかりの頃、近所のおばさんに毎日のように、志津子昨日は何を食べたの?と聞かれ、ずけずけと人のうちの台所事情を聞くなんてこの人ちょっと失礼と思ったものですが、そのうちこれがこの土地の文化、食文化だと思いいたりました。


挨拶の言葉の次に現れるトピックというのは面白いものでよく注意するとその土地の文化がちらりとうかがえるのです。たとえば、大阪では有名な「儲かりまっか?」「ボチボチでんなぁ」という会話は経済観念の発達した大阪ならではといえます。東京では、ズバリと聞くということは避けるほうが多いので、儲かってますか?とズバリ聞くことはないように思います。聞いたとしてもせいぜい、「このところの景気悪いですね。」てな具合でしょうか?あるいは誰にも差し障りのない無難な話題、天気のことなどが多く口に上ります。


イタリア全般でいえば、「バカンス」の話題が多く上ります。今度の休暇はどこへ?クリスマスはどうした夏はどうしたいといった具合です。そして、シチリアでは食の話題が上がるのです。食が生活の中で重要な位置を占めているからこその会話といえるでしょう。


世界中どこに行っても名物料理、舌づつみをうつ料理がありますが、シチリアの人々はシチリア料理が一番と思っています。私も実際に住んでみて、それはあたらずとも遠からずと思います。シチリアは何を食べてもおいしい!からです。美味しい料理の条件は、新鮮な素材、旬のもの、土地のもの、ピュアなものというのが私の持論ですが、シチリアはその条件がしっかりと満たされているうえ、さらに、食材が豊富というおまけもついてきます。美しい海に囲まれ、3000m級の火山エトナ山を抱え、四季のあるシチリアでは海、山、野の幸が豊富で新鮮なのです。


そのように豊富で新鮮な素材を使ったシチリア料理、美味しくないわけはありません。世界中で称賛されています。世界中を魅了する大きな理由として次の4つの特徴が挙げられます。



シチリアはかつてフェニキア人、ギリシャ人、ローマ人、バビロニア人、アラブ人、ノルマン人、シュヴァーベン、アンジュー家、アラゴン家、スペイン人、オーストリア、ブルボン王朝となんと13もの征服者たちに支配されてきたのです。東方、西方、北方のいたるところの支配を受けてきたシチリアの人々はそれぞれの征服者たちの文化を巧みに取り入れ、それ以前からあった文化と融合させてきましたが、キケロが述べたように知性的で、警戒心が強く、機智に富んだシチリア人は食にもこれら時代の支配者たちが持ち込んだ文化を融合し、独自の食文化育んできたのです。


シチリア料理を理解するにはその背景となるシチリアの歴史への理解が欠かせません。シチリアの歴史を食文化の観点からひも解いてみましょう。


シチリア食文化の歴史

先史時代

シチリア最古の人類の足跡は新石器時代にさかのぼりますが、紀元前20世紀ごろまで、先住民族のシクリ人、シカニ人、エリミ人などがいて、彼らは女神、特に、大地の母を信仰していました。恐らくこれは、この地に自生していた トゥンミニーナと呼ばれる野生の穀類に深い関係があるものといわれています。この原生種穀類トゥンミニーナのおかげで、この時期にシチリアでパンがつくられるようになり、それとともに、蜂蜜とリコッタチーズを使ったシチリア最初のデザートが生まれます。カステルヴェトラーノの黒パンはこの古来からシチリアに伝わるトゥンミニーナを用いたものです。


続く紀元前1200年ごろ、シチリア中南部にいたシクリ人が東部に侵出するとともに、そこにいたシカニ人が西部に追いやられます。シクリ人が島に大きく侵出したことにより、その地に住む人々をシクリ、そして島はシケリアと呼ばれるようになったのです。しかしながら、シカニ人がここで千年以上育んできた地中海風気質や信仰はすたれることなく、その後にやってきた文化とうまく調和していきました。当時、シクリ人、シカニ人、そしてトロイの落人エリモ王子の末裔ともいわれる強大なエリミ人はチーズや塩などの食品、さらには毛糸や黒曜石などの物々交換を行っていました。


ギリシャ時代

カルキス島のイオニア人が紀元前736年にイオニア海のナクソスに、続く紀元前734年にコリント人がシラクーサにやってきます。ギリシャ人たちの主な目当ては穀物でした。岩がちの痩せた土地のギリシャでは穀物が実りにくいため、よく飢饉が起きていました。ギリシャ人はオリーブやスペルト小麦の新しい栽培方法、ワイン造りの技術などをもたらしました。それ以前、穀類からはパンをつくるだけでしたが、この時代にチェチ豆やソラマメ、レンズ豆のスープなどの料理が生まれています。


詩人サッフォーは紀元前600年国外追放されるとギリシャの食品の交易に従事するようになりシチリアにもやってきますが、穀類、フルーツ、野菜、チーズ、甲殻類、魚、オリーブ、ワインなどをベースにした料理を生み出すシチリア料理人のレベルの高さを称賛しています。サッフォーの指摘したシチリア料理はまさに今日地中海食文化と呼ばれるものです。シラクーサの老僭主ディオニシオスI世に招かれた哲学者プラトンもアーモンドと蜂蜜を使ったお菓子を絶賛しています。プラトンは洗練されたシチリア料理を称賛しつつも、シラクーサ人の食習慣に関しては、アリストン(朝食)、デフェイオン(昼食)、ドルポン(夕食)と何度も食卓を囲む習慣があると批判的に述べています。哲学者のエンペドクレスはアクラガス(現アグリジェント)の豊かな様子について、人々は永遠に生きるかのような家を建て、明日死ぬかのように食べると述べています。この地の洗練された食文化はマグナ・グレキアのみならず周辺の異民族にも良く知られ、羨望のまなざしで見られていました。



ローマ時代

紀元前200年代にローマ人がシチリアを支配するとシチリアの豊かさに着眼し、広大な穀倉地帯として開拓しました。ローマ貴族たちはこぞってシチリア出身の料理人を使ったといいます。キケロもシチリア料理のレシピを称賛しています。エジプト女王クレオパトラはシチリアの料理人に恋に落とす料理を考案させ、シーザーやアウトニウスの心を射止めたといわれています。ところで、恋に落とす料理は、CUCINA AFRODISIACO(クチーナ・アフロディジィアコ)というのですが、直訳すると性欲を刺激する食事、その語源は愛の女神アフロディーテです。


この時期に、brodetti di murena(ムレーナのブロード), le croccanti seppie ripiene sfumate in forno con il vino(いかのリピエノ), le insalate di cuori di cipolle al forno condite con olio aceto e origano(玉ねぎの芯のオーブン焼きをお酢とオレガノであえたサラダ) e ancora i pesci fritti(魚のフリット), da mangiare per strada(立ち食い) o durante i numerosi spettacoli, e le frittelle di pasta lievitata(ショーなどの途中に食べるフリットやパン類)が生まれました。


同じ時期に普及した料理はヘブライ人たちの間にも広まりました。また、スカッチェと呼ばれる野菜の詰め物をしたピザのようなパン、チーズ、アンチョビ、ペコリーノチーズなどが食されるようになりました。


三世紀になるとローマも蛮族の侵入がはじまり、シチリアにも蛮族フランク族がやってきます。そしてゴシック族の台頭で、何世紀にもわたって続いたローマの支配も終焉を迎えます


ビザンチン時代

かつてのメッシーナ海峡のカジキ漁

▲かつてのカジキ漁の様子

535年にビザンチン人がゴート族を追い出し、シチリア貴族たちの間に華奢で贅沢な東方宮廷文化が広まります。今日シチリアの肉料理やデザートで良く使われるクローブやシナモンなどが伝わりました。


カジキマグロ漁はすでにホメロスが記述されていますが、ボスフォラス海峡で行われていた漁法がビザンチンの人々によってメッシーナ海峡にもたらされました。


アラブ時代

アラブ時代にはギリシャ時代と同じように、芸術や農業に新技術がもたらされました。特に料理はアラブ人がシチリア食文化に革新をもたらしたといえるでしょう。マグロ漁法や、柑橘類、桃、杏、米、サトウキビ、綿、イナゴマメ、ピスタチオナッツ、アスパラガス、なす、ジャスミンなどの新しい食材がアラブ人によって持ち込まれました。香辛料、粉をこねるという意味のmaccarumeから派生したのがマカロニで、乾燥パスタがつくられるようになりました。


トラパニ地方の伝統料理であるオリエンタルな味覚、クスクスや、魚介の煮込みスープ、パレルモの市場でもよく見られるチェチ豆からつくられるパネッレ、ミルツァ・サンドなどもアラブ時代にもたらされたものです。


アラブ時代にはまたお菓子も発展しました。Quas’at(カッサータ)、Qubbayt(コバイタ:蜂蜜とゴマやアーモンドからつくられるヌガー)、Sciarbat(シャーベット:エトナの雪に柑橘類や花のエッセンスをかけたもの)、Scursunera(ジャスミンのジェラート)、Nucatuli (乾燥フルーツや砂糖菓子、乾燥菓子)、Geli(メロンやブドウエキス、シナモンやジャスミンのゼリー)などです。さらにはグラッパなどの蒸留器もアラブ人の発明です。


ノルマン時代

1063年、ノルマン人、オートヴィル家のルッジェーロ2世がアラブ人に圧勝し、シチリアを掌握します。優れた海の民、戦士であるノルマン人はまた建築にも長けていて壮大な大聖堂を建設しました。ノルマン人によって串焼き、燻製ニシン、乾燥ダラなどが伝わりました。ルッジェーロ2世は1130年に戴冠し、生涯ノルマン王としてシチリアに君臨します。在位中に、大学の創設、税の導入など数々の革新をもたらします。鷹狩りに関する規定なども制定しています。この時期にロースト料理が生まれました。


アンジュー家とアラゴン家時代

この時期、フランス風にロールとも呼ばれるファルソマグロ(ミートローフ)が普及します。庶民の間ではフリットや野菜とともに食されました。フランスの伝統は、フレッシュリコッタチーズとミートソースをからめたパスタなど庶民のレシピの中にも見られます。貴族の間では仔牛などの高価な肉の詰め物料理などが普及しました。


スペイン時代

アラゴン家のフェルディナンドがカスティリヤとアラゴンの王となった1440年から1713年にシチリアはスペイン支配下にありました。この時代にアラビア時代にもたらされたカッサータはスポンジケーキ(カステラ)がもたらされたことにより、さらに洗練したお菓子に生まれ変わります。かぼちゃの甘酢風味煮、もこの時代にさかのぼります。大航海時代を経て、アメリカからトマト、カカオ、トウモロコシ、唐辛子、ポテト、いんげん豆、七面鳥、ピーマンなど、インドからナスが伝わりました。


このように何世紀にもわたって新しい食材が伝わることによって、一皿の伝統料理が生まれるのです。たとえば、カポナータは料理する人の創意工夫によって、少量の素材だけ、あるいは、手に入るさまざまな素材を用いて味わいを豊かに仕上げることができます。もともとカポナータは船乗りの好んで食べた料理で、彼らが通った大衆食堂(カウポーナ=Caupona;ラテン語の大衆食堂から派生)で出されたことが名前の由来です。カポナータの起源は船乗りたちが乾パンを油と酢で味付けた塩水につけて食べたものとされていて、今日知られているカポナータとは全く違ったもので、もともとの料理は現在のものよりかなり素朴なものでした。なぜならまだ今日使われる食材がシチリアには伝わっていなかったからです。たとえば、ナスがインドから伝わるのは1660年代です。セロリも他の数々の食材のようには古来からありましたが、料理には使われていませんでした。


アラブ時代に少しさかのぼりますが、米を伝えたのはアラブ人です。ミラノ風リゾットもその誕生をシチリアに見出すことができます。サフランリゾットは伝説によると、1574年ミラノのドゥオーモのガラス窓の創設者であるプロフォンダヴァッレ家のバレリオの給仕が娘の婚礼のために考案したものといわれています。1543年1月16日のエステ家の宮廷での饗宴で、数々の料理とともに、生卵とチーズ、黒コショウ、サフランを使ったシチリア風の米料理が供されたという記録も残っています。つまり今日ミラノ風リゾットと呼ばれるものがフェラーラで1500年代に食されていたわけです。


シチリア料理の特徴はひとことでは言い表せませんが、、特に重要な役割を果たしているのがハーブです。どの家庭でも必ずと言っていいほど、バジル、パセリ、ローズマリー、ミント、ぺペロンチーニなどを庭に植えるか、プランターで育てています。また野生のオレガノやバジルの芳香や、ビネガーに薫るケパーの香りなどが料理を際立たせます。ハーブは地中海性のものが多く、土地柄良く育ちますが、特にシチリアではワイルドフェンネル、、ネピテッラ、ローズマリーなど強い芳香のハーブが他のどこよりもたくさん自生しています。料理をつくる人の技量もさることながら、シチリア料理をゆるぎないものにしているのはまさにシチリアの豊かな土地なのです。


特選食材

モディカのチョコレート Cioccolato di Modica

▲カカオの実、カカオ豆、カカオマス

▲カカオマスを湯煎で溶かして砂糖を混ぜる

▲砂糖の粒が残るザラザラとした断面


収穫したカカオの実を発酵、乾燥、ロースト、粉砕してカカオマスから作られますが、カカオ豆には約55%の油脂が含まれる為にペースト状になります。一般のチョコレートのような磨砕、精錬過程はなく、カカオマスを35度~40度の湯煎で溶かし、砂糖だけ、あるいは砂糖とスパイスを加えただけのシンプルな行程のみで作られます。この温度では砂糖が溶けきらず粒のまま残るため、ジャリジャリとした食感が残りますが、風味と香りが損なわれずに保たれます。

チョコレートがモディカに伝わったのは、スペイン支配のモディカ伯爵領の時代で、新大陸アステカの人々はチョコレートを溶かし、スパイスを入れた飲み物として親しんでいましたが、ヨーロッパに入り砂糖をいれて甘いものとなりました。モディカのチョコレートはアステカの人々の製法がそのまま受け継がれてきたものです。

モディカのチョコレートはいろいろなテーストのフレーバーがあります。砂糖だけのシンプルなもの、ヴァニラ、シナモン、オレンジ、レモン、ベルガモット風味、アーモンドやピスタチオナッツ入り、塩風味、ペペロンチーノ風味など様々です。カカオ70%、80%、90%といったブラックチョコレートもあります。

基本的なサイズは100gで、4つに割れるように刻みが入っています。この4分の1個はホットミルクやお湯をそそいで、チョコレートドリンクとすることができます。

ブラッドオレンジ arance rosse di sicilia


シチリア産ブラッドオレンジはIGPに指定されている特選食品です。生産地域の特異な気候、土壌により独特の性質が生まれます。同じ品種を違うところで栽培してもシチリアブラッドオレンジと同品質のものはできません。

シチリアブラッドオレンジはタロッコ(Tarocco)、モーロ(Molo)、サングイネッロ(Sanguinello)の3つの種類があります。

水分が約87%と非常にジューシーで、脂質、タンパク質が少なく、ミネラルが豊富、特にヴィタミンC、A、B1、B2が多く含まれています。オレンジに含まれるクエン酸は尿路結石を防ぎます。糖分控えめなので、子供、老人、糖尿病の方にもおすすめです。歯肉炎や口内炎にはブランドオレンジジュースでうがいすると良いといわれています。絞りジュースにすれば、抗酸化作用のあるヴィタミンC、ビオフラボノイド、テルペンなどがすぐに吸収できます。果肉は老化防止クリーム、果汁はは引き締め化粧水などに用いられています。

フレッシュな果汁や果肉だけえなく、ママレード、ソース、リキュールに加工したり、果皮は砂糖漬けにしたりとその用途も様々です。